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シンボくん

2010.10.15 Fri
昔話をしたいと思います

(初めて昔話を読む人は書こうと思った経緯が書いてある記事タイトル「シュンちゃん」からどうぞ)

小学生高学年も終盤にかかる頃俺の人生で最初の荒波
入院生活が始まりました
当時住んでいた場所は新潟県にある上越
俺が患っていた病名は、特発性側湾症(そくわんしょう)という病気で
新潟市内にある大学病院でしか診察、手術ができないらしく
俺を含む妹達、母親の引越しは親父の実家があるこの地で終止符が打たれました

側湾症って言葉自体あんまりメジャー感がないので
説明すると普通真っ直ぐの脊柱・背骨が歪んでしまう病気です
歪みと同時に肋骨が肺なんかの臓器に突き刺さって傷つけてしまったりもするようです
つーか俺も危なかったので肋骨を1本落としました
俺の場合細かく分類すると思春期側湾というもので
10代の女の子に多く発祥するものらしいです

とまぁこの病気の為、月一の診察
小学生高学年~高校3年までろくに通学もせず
計7回の入院・手術を繰り返してました
シンボくんはこの入院中に知り合った5歳年上のお兄さんです
歪みが強くなる度、不定期に入院する俺と違って
シンボくんはいつも同じ病室、同じベットにいました
手術が決まってシンボくんの病室へ行くと
「また来たか」
「シンボくんこそいっつもいるじゃん」
が変な合言葉みたいになってて二人で笑ったのを覚えてます
リハビリ室の変なアスレチックで遊んだり、毎週月曜発売のジャンプを回し読みしたり、夜中ナースの目を盗んで広大な病院を歩いたり、プレステで夢中にゲームしたり
手術の怖さから必死に逃げるようにシンボくんとあそびました

あの頃はもう身体の中がメチャクチャになってて記憶自体も薄ら薄らしか無く
何回目の手術か忘れたけど
いつもの様にシンボくんの病室へ行くと、シンボくんの足が無くなってました
その時初めてシンボくんが癌だと知って転移の為落としたんだと聞き、投薬も始まり副作用でなかなか病室から出れず
あまり顔を会わせないまま俺の手術の日が来ました
あの時の手術が一番痛かった

退院してまた手術が決まり
病院に行くとシンボくんは居ませんでした
顔なじみの看護師に聞くと
「退院したよ」とだけ教えてくれました
その時の手術はもっと痛かった

はい。
以上です。
入院は長いことしてたんで話は結構ありますが
怠惰な感じで過ごしてたんで纏められる自信が正直無いです
あと痛かった記憶が大半なんであんまり忘れそうも無いし
お疲れ様でした

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シュンちゃん

2010.09.24 Fri
昔話をしたいと思います
というのも、最近物忘れがひどくて過去にあった忘れたく無い事が
知らず知らずのうちに記憶からぶっ飛んでしまうんじゃないかと臆病になったので
んじゃあこの便所紙に書いておこう。と思いたちました
記憶をたよりに可能な限り当時思った事をそのまま書くよう努めていきますが
俺の頭の中が「ぼく、さんさい」なのと文章能力が0に近い1なので
分かり辛いところが多々ある上に多分面白くないです
まぁ「マールのわくわく走馬灯」みたいな感じで読み流していただけたら
これ幸いです。


俺の親父は転勤族で、俺と妹さんは引越しをするたび当たり前の様に転校を繰り返していました
某有名サッカー選手と同姓同名の男の子シュンちゃんは2回目の引越し先埼玉県で出会った友達です
8階建てのマンションが2棟ある新しい住居には同じ学校に通う子供が結構いましたが
部屋が隣同士で同学年であるシュンちゃんとは自然と遊ぶ回数も増え、次第に家族ぐるみの付き合いとなっていきました
小学校ではさすがに同じクラス。という偶然は続かず
それぞれ転校生が知らず知らずのうち身に着ける処世術を発揮して各々がクラスに馴染み始めたある日
クラスの女子が俺に話しかけてきました
「マール君、*組(忘れました)のシュンちゃんと仲がいいの?いいなぁ~!」
「?、なんで?」
「だってかっこいいじゃん!!」
その女子から聞いたシュンちゃんスペック
・子供英会話教室に通っている
・子供サッカークラブに通っている
・成績上位スポーツ万能
そんな完璧超人いるわけねぇと半信半疑でしたが。居るモンですね、神童と呼ばれる子は・・・
その後もシュンちゃんの話題をふっかけてくるクラスメートをあしらう俺、心のどこかで「どうだ!俺の友達はすげぇだろ」と思う反面、俺は完璧すぎるこの子の側に居ていいんだろーか?という思いがジワジワと日に日に芽生えはじめていました
それからは俺から遊びに誘う回数も減りクラスが違うという事も手伝い関係は疎遠になりがちに
何も先約があるわけでもないのにシュンちゃんの「一緒に遊ぼうよ」という誘いを優劣比べられるのが嫌で断る
今考えるとなんつー愚かで浅ましいクソガキだろうと思えてなりません
そして親父の転勤がまた決まり、埼玉を離れる数日前
話す事もあまり無くなっていたシュンちゃんから俺と二人でタイムボックスを埋めようと申し出がありました
当時俺のまわりではこのタイムボックスってやつが異様に流行ってて、何年後かにみんなで同じ場所に集まって開けようってアレです。申し出の時点ですでに3,4個埋めてた記憶があります。埋めた場所全部忘れたけど
でもシュンちゃんと入れた物、埋めた場所は10年以上経っても俺は覚えてました
何故かは埋めた時俺がボロ泣きしたからです。今みたいに携帯もメールもPCも持ってない小学生の俺にとって転校=今生の別れみたいな先入観があったんだと思います。手紙を出すなんて女々しい事はやりたくないという謎の決意もありました(これも今考えると馬鹿丸出し)
「なんで今までもっと遊ばなかったんだろ。ごめんねごめんね」そればっかり考えて泣く俺をシュンちゃんは「泣くなよ泣くなよ」と慰めてくれました。本当いい子だ

数年後、今これを書いてる3年ぐらい前
色々あって上京した俺は思い出の地、埼玉県浦和市へ電車で向かいました
懐かしいマンションは意外と小さくあったはずの所に建物がなく別の何かが建っている
タイムボックスを埋めたマンション前にある空き地はコンクリが入れられでっかい駐車場になってました
子供の手で掘った穴なのでそうそう深くは無いはず。きっと捨てられてしまったんだと思います
シュンちゃんもこの事をきっと覚えてないと思います、俺もギリギリです。
以上、タイムボックスは開けられなくなってしまったけど忘れたくない思い出話なので
ここに書きました。

他にも俺の記憶を表面張力ギリギリで漂ってる昔話があるので
危ない!溢れちゃう!!ってなる前にまたこのチラシ裏に書こうと思います
もし読んでくれた方がいたらノンフィクションなんでオチもつかずに申し訳無いです
お疲れ様でした。

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